2019.09.02
書くことで目に見えないものと見えるものを行き来する~写真家 野川かさねさん~
山や自然の写真をテーマに活動する写真家・野川かさねさん。測量野帳は"自分の山歩きに欠かせない存在"だといいます。ご自身の撮影活動のなかで、野帳をどのように活用しているのか、お話を伺いました。
文房具店で偶然出会った測量野帳
Q:測量野帳とはいつ、どこで出会ったのでしょうか。
山に登り始めたのが14年くらい前。20代のころはカメラマンのアシスタントをしながら、街中で目にとまった植物を撮影したり、植物園を巡って作品を撮ったりしていました。自分の作品テーマを模索するなかで、山に行ったら撮りたいものがあるかなと思って登山を始めました。とはいえ山に登るのは小学校5年生以来。本当に初心者だったので、登山口までの行き方をはじめ、ルートや工程、何を持って行くか、何を食べようか、何時にどこへ行ったかということを細かくメモしていました。
始めたばかりのころに使っていたのは野帳ではなくて普通のノート。だた、山で雨に降られることもあったりして、ていねいに扱うものではないので、すぐに破れたりボロボロになったりすることが多くて。記録として残しておける、何かいいノートはないかなって思っていたとき、文房具店でたまたま手にしたのが測量野帳です。まず値段の安さにびっくりして、試しに使ってみたら、立って書けるしとても使いやすくて。それ以来、野帳は私にとってカメラの次に欠かせない存在になりました。
独特な感性で自然の美しさを切り取る写真家、野川かさねさん。
著書「山と写真」、共著に「山と山小屋」「山小屋の灯」「山・音・色」などがある
Q:山に登るとき、カメラ、フィルムに次ぐ必需品なのが測量野帳とのこと。かなり優先度高めですね。測量野帳の好きなところはどこでしょうか。
昭文社の「山と高原の地図」を愛用しているのですが、それとほぼ同じサイズで一緒に持ち歩くのに便利なんです。ザックの雨蓋(入り口を覆う部分)のポケットに、手袋や行動食、地図などと一緒に入れるのにぴったりのサイズ感がいいんです。ザックのポケットにもシュッと滑り込ませるように収納できる薄さと、山の荷物と一緒にぎゅうぎゅうに詰め込んだとしても曲がらない固さ、荒く扱っても背の部分がバラバラにならない丈夫さが気に入っています。
愛用のカメラNikon FM2と過去の野帳アーカイブ。
色はスタンダードなグリーンを愛用。「汚れが目立たないところも気に入っている」とのこと
Q:山岳写真家として活躍する、野川さんならではの使い方はありますか。
山に登り初めたころは、野帳はとにかく"記録"用のノートでした。行き先や天気はもちろん、何時何分にどこに着いて何をしたか、その日の服装や持ち物などあらゆるものをメモしたり、山小屋のスタンプやチケット、領収書なども挟んでいましたね。山での食事も、何をどれだけ持っていけば良いのかわからなかったので、三食の自炊計画を書き出してそれを元に食料を準備したり。そのメモを次の登山に生かすことで山に慣れる、山の経験値を上げていくための欠かせない記録ツールでした。
自分とともに、野帳の使い方も変わっていった
Q:山に通う年数が増すにつれて、野帳の使い方が徐々に変化していったようですが、どのように変わっていったのでしょうか。
山に入って3年を過ぎたころから、徐々に山との付き合い方が変わっていったんです。同じ山に何度も行くようになって、季節ごと、多いときは月ごとに同じ場所へ通うようになりました。新しく出会う風景に心を奪われて夢中でシャッターを切っていたそれまでの自分から、視野が広がって、細かいことに気付くようになってきたのもこのころから。野帳の使い方も、山で思いついたことや、感じたことのすべてを書き込む"雑記帳"に変わっていきました。だんだんメモが細かくなり、絵を書くことも多くなってきましたね。
同じ山に何度も通って、ああかな、こうかなって模索しながら撮影することで、徐々に、雪山を撮ろうとか、植物を撮ろうとか、「これを集中的に撮ろう」という方向性を見つけていった時期だったように思います。
登山を始めたばかりのころの1ページ。
山小屋やテントの中で、その日の行動を振り返ってメモしていたそう
徐々に山に慣れてきたころ。山で心に留まった物事が、断片的なイラストで描かれている。
泊まった山小屋の風景をスケッチすることも
登頂の証のスタンプも野帳に
Q:山に身を置き、山を撮り続けることが今の撮影テーマにつながっているのですね。最近は尾瀬と北八ヶ岳を5年間にわたって撮影し続けているそうですが、現在の野帳の使い方はどのように変わってきましたか。
ひとつの場所に集中して撮影することが多くなり、野帳も、尾瀬だけの野帳や北八ヶ岳だけの野帳ができました。野帳の使い方にも慣れてきて、左ページに歩いたルート、右ページには道中で撮影した写真を現像したものを貼り付けたり、山で見た植物を書き込んだり。何時にどこに着いて...といった、当初のような登山記録ではなくなって、何時何分に何を撮影したのか、光がどこからさしてどこから撮ったのかという"撮影記録"としての使い方がメインです。
2年前、残雪期の尾瀬を写した実際の作品。
野帳には、撮影した場所と時間、湿地についてのメモが記されている
野帳に書き込むことで、山に対して能動的に
始めのころは、記録は記録、写真は写真とまったく別のものだととらえていました。テーマが定まってきたころから、植物について図鑑で調べたり、山の歴史について調べたことを野帳に書き込むことが増えました。野帳に書くことを通じて、能動的に山に向き合えるようになってきたというか。能動的になったことで、山の見え方が深まり、それまでとは全然違う、もっと立体的に細部まで見えてくるようになりました。また、山にいるときだけではなく、家に帰ってからも写真を貼り付けたり調べたことを書き込んだり、野帳を広げている時間が以前よりずっと長くなりましたね。それらのすべてが、最終的に自分の作品に還元されるといいなと思っています。
北アルプス・穂高連峰の山々についての書き込みと、座禅草について調べたメモ。
山を知り、深めようとしている姿がうかがえる
Q:"野帳に書き込むことで、山の見え方が深まる"とは、どんな感覚なのでしょうか。
私の山歩きは、スピードとしてはとてもゆっくりしたものですが、大事な瞬間に迷わずシャッターを押せるように、目の前にある風景の一瞬一瞬を少しも見逃すまいと、頭と心はせわしなく動き続けています。ただ、頭の中で考えていることや心に感じたものを、言葉にするのは得意じゃなくて。だからといってそのままにはしておけない。この写真を撮ったときは、こんな天気で、こんな光が当たっていて......頭の中でぐにょぐにょ(笑)しているものを、野帳に全部落とし込んでいる感じです。
山でどんな写真を撮ろうかと考えたときに、山の雄大な稜線を撮るというのは選びませんでした。私が撮影するのは、自然が見せる瞬間を切り取ったもの。"1つ1つは小さくても、100集まれば山が見えてくる"そう思っています。山で写真を撮って、そのときに感じたことや気付いたことを野帳に書き込んでいく、そうすることで散漫になりがちなものが整理されて、本当に撮りたいものが見えてくることもあります。
Q:頭の中を整理することで、スッキリするのでしょうか。
うーん、スッキリするという感覚ともちょっと違います。写真を撮って発表することって、はっきりとは言い切れない何かを表している、白と黒で表せないぼんやりしたところを表現している感覚が強くて。自分の中で確信をもってやっているけど、正解があるものではないので、ちょっとだけモヤモヤするんです。だからメモや記録をしていったん可視化することで、モヤモヤとのバランスをとっている感じがします。写真を撮る自分とメモをする自分、そこを往復している自分の状態が大事というか。
写真を撮って、現像して上がりを見て、考えたことや気づいたことを野帳にメモして振り返って。それによって次はどんな写真を撮ろうかなって考えることの繰り返しです。そこに正解があるわけじゃないからこそ、私の作品にとって必要な時間なんだと思います。
「野帳を書くこと自体は目的ではありません。
言葉にならない感覚的な部分と、頭の中にあることを書いて循環させる、その感じがいい」と野川さん
自分を探るときに必要なのが、野帳のメモ
Q:子どものころから、思いついたことをなんでもメモする"メモ魔"だったそうですが、現在もデジタルではなく手書きにこだわっているのでしょうか。
写真をコピーして切って貼って、まどろっこしいけどそれをやっている時間も好きなんです。展示会のプランなんかも手書きですね。手書きであれこれ書いているうちに頭の中のアイデアが整理されていきます。また、展示会の前には、テーマに沿った野帳の該当ページを読み返すこともあります。たとえば北八ヶ岳をテーマにした個展をやるとしたら、現時点の写真と数年前の自分が撮った写真、そのとき思っていたことを野帳のメモで振り返ります。
記憶って、当時は大事に思っていたこともどんどん更新されて忘れてしまいがちですよね。野帳を振り返ることで、そのときそのときの自分の思いに立ち返る。そんな、自分を探るときに必要なのが野帳のメモですね。一冊の野帳を、春、夏、秋の3シーズンと冬、その次の春までくらいのスパンで使っているので、野帳の冊数がそのまま登山歴にもなっています。
うっかり野帳を忘れてしまったときは、別の紙に書いて後から野帳に貼り付けることも
Q:最後に、測量野帳についての想いを教えてください。
テーマを見つけなきゃとあがいていた十数年前と、作品の芯となる部分が定まった今では、山への姿勢みたいなものが変わっていて、それがそのまま野帳の使い方にも出ています。当時の野帳を振り返ると、ちょっと恥ずかしかったりもするプライベートなもの。誰かに見せる目的で書いてはいないので、使い方に統一感もありません。でもそれは、自分と一緒に変化していく存在であるからこそなんだと思います。
今のままずっと、測量野帳は変わらないでいてほしい、それに尽きます。山に必ず持って行く相棒のような存在として、これまでも、これからもずっと使い続けていきたいですね。
ありがとうございました。
「言葉では言い表せないことを、写真を撮って表現しているのかな」と語ってくれた野川さん。心の中で描かれる目に見えないものと、野帳に書き込まれる目に見える言葉。その両方を行き来してこそ、野川さんの心を写した作品が生み出されるのですね。
野帳に残された記録から作品1枚1枚に込められた想いの深さを垣間見ることができたインタビューでした。